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人生の主人公である自分をとりもどそう

リアル_モラハラ恋愛FILE⑨逃げるために檻に入る

どうも。
家周辺のイタドリが育ちすぎ亜熱帯地方みたいでリゾート感ハンパないですTOHKOです☆

 なぜ逃げない

 

友達に会おうとすればジャマされる。

 

わたしが出かけると不思議とMから電話かメールが入る。
気持ちは自動的に帰る方向へシフト。

 

自分にブレーキをかけるようになった。
出かけなければジャマされない。

 

それが常態化していった。

 

なぜ逃げられない?
自分の心の動きがどうなっていたのか今でもわからない。


でも言えることはひとつ。

わたしの心はいつも何かしらの檻に入れられた状態だった。

 

Mによる地雷があちこちに仕掛けられた危険地帯では、むしろ檻に入ってしまうことが安全に思えた。安心できた。

 

檻の中にいれば危険を避けることができる。
どこにも地雷なんてなかったかのように錯覚すらする。

 

逃げ出したい願望はいつもあったけど、檻の扉に手をのばすことはできなかった。

 

 

退屈の檻

Mとゲームセンターに行っていたことがあった。

 

Mはゲーセン大好き。
わたしはゲーセン大嫌い。

 

出るか出ないかわからないものに期待をかけ偶然を待つことに意味はある?
わたしは退屈が嫌いだった。

 

でも行った。
そして行って気がついた。

 

ゲーセンにいる間は、Mとの距離がうまく保てる。


なぜ?


その建物の中にいると、どういうわけかMがとても穏やかなのだ。


なぜ?

 

ゲーセンでは。
出るか出ないかわからないものに期待をかけ偶然を待つしか、することない。退屈そのもでしかない。

 

でもある意味。

予測できる範囲内のことしか起きないとも言えた。
その小規模感がMに安心感をもたらすのではないか。

 

Mは極めて小さな範囲内で起こる小さな出来事が好きなのかもしれない。
あんなに嫌いだったのに、ゲーセンデートが定番になった。

 

 

Mは開店と同時にわたしをゲーセンへ連れて行き。


「オレのバイトが終わるまで店にいてね」

 

と言い残し。


わたしは丸一日そこにいさせられた日もあった。

 

 

わたしは友達と会えないかわりに、みずから退屈の檻に入る方を選んでいたのだ。

 

 

非日常の檻

ときどき非日常なサプライズもあった。

 

あるとき「一日ヒマ?お昼食べにいこーよ」と誘われた。
ちょっとのつもりで出かけた。

 

「天気いい。ちょっと遠出してご飯食べよう。」


そだね。


「このまま最南端行ってみる?」


そだね。


「フェリーあるね。乗ってみる?」


そだね。


「かなり来たね。温泉行ってみよか。」


そだね。


「そーいえば、昼食べに出ただけなのに海渡ったね。」


そだね。


「お土産買っとく?」


そだね。


「職場の人にお土産渡したら、みんなびっくりするんじゃない?」


そだね。


「行動力あるって思われるかな。」


そだね。


・・・・

 

そんな調子で。

ときどきサプライズっぽい小旅行があった。


普段のわたしたち、約束も計画もない。

だから。


余計にその非日常が異様に鮮やかに
ドラマチックに見えた。

 

こういうのを
捨てがたい思い出とか冒険とか共感だとか自分たちの歴史だとかと勘違いしてた。

簡単に捨ててはいけないものだと思い込んでいた。

 

 

何効果というのだろうか?こういうの。

(よーくよく考えると、下調べして予約していった方が断然楽しめるんだけどさ!)

 

 

つづく

 

chocogumi.hatenablog.com

 

 


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